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日英語の比較をめぐって(その2:序説の2及び日本語助詞論の1)

机译:日语和英语的比较(第2部分:简介2和日语辅助理论1)

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摘要

素性理論は言語Aと言語Bの対応表であることに違いは無く、後者の言語が自然の言語か理論構成物としてのそれかは問題を救済しないということにいま少しこだわってみよう。 ウィトゲンシュタインが言語で言語は語れないと言う時、自然言語は自然言語で語れないと言っていたのだろうか。 そうではあるまい。 およそ、言語と名のつくもので言語と名のつくものは語れない、と言っていると解すべきである。 (読者の意表を突くことかもしれないが)ここはソシュールに代弁させることが出来るように思われる。 ウィトゲンシュタインとソシュールには通底するものがあると本稿は考えているが、両者の関係を論じた殆ど唯一の書たるHarris(1988)には驚くほどそれは指摘されていない。
机译:自然理论作为语言A和语言B之间的对应表没有什么不同,让我们坚持一个事实,即后一种语言不能解决自然语言还是理论构造的问题。当维特根斯坦说不能说语言时,他是否说不能用自然语言说自然语言?这不是真的。应该理解,据说不能说出具有语言和名称的东西。索绪尔似乎可以在这里为您说话(尽管这可能会让读者感到惊讶)。本文认为,维特根斯坦和索绪尔有共同点,但令人惊讶的是,哈里斯(1988)并没有指出这一点,这是唯一讨论两者之间关系的书。

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