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海藻標本採集列伝(6)大久保三郎(1857-1914)

机译:海草标本系列Retsuden(6)大久保三郎(1857-1914)

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摘要

日本植物学の歩みを生命進化の歴史にたとえると,明治は「原核生物」のごとく長大な歴史を有する本草学から植物学という「真核生物」が出現した時代であった.東京大学植物学教室が,矢田部良吉(初代植物学教授)という「核」を得てわが国初の植物学を行う「真核細胞」となり,さまざまな植物研究の分野を産み出したこの時代,矢田部を補佐して実務を担い,植物標本室を拡充すベく顕花植物のみならず海藻までも採集した松村任三(前回参照)と大久保三郎がはたした役割はこの教室の 「細胞小器官」であったと言える.今回紹介する大 久保は,松村と1歳違いで友人関係にあり,不在 がちの矢田部に代わり二人で学生の面倒をみてい たようだ.3歳年下の宮部金吾(開拓使から東大に 出向留学,第3回参照)とも仲が良く終生交流があっ たらしい.後年宮部が描いた当時の間取り図には,学生に近い位置に大久保の机が示されている.
机译:如果将日本植物科学的历史与生命进化的历史进行比较,则明治时代就是从植物学中出现了被称为植物科学的“核生物”的时代。但是,在这个时代,第一位植物科学教授八部良吉(Yoshikichi Yatabe)获得了“核”并成为日本第一个进行植物科学的“核细胞”,并进行了植物研究的各个领域,他在实践中协助了八田。可以说,不仅收集开花植物而且收集海藻的松村真三(上次看)和小久保三郎所扮演的角色是这个教室的“细胞器官”。这次介绍的大久保比松村大一岁,并且有一段友谊,似乎他们是在照顾学生,而不是通常不在的八田ta;三岁的宫部金吾(从先驱者到东京大学)似乎他与他的一生都保持着良好的关系,宫部后来绘制的平面图显示,大久保的办公桌在靠近学生的位置。

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