首页> 外文期刊>三重大学人文学部文化学科研究紀要 >神を説得した歌の力について—三輪山惜別歌再考—
【24h】

神を説得した歌の力について—三輪山惜別歌再考—

机译:关于说服上帝的那首歌的力量-对Miwayama Rebetsu Song的反思-

获取原文
获取原文并翻译 | 示例
           

摘要

「三輪山惜別歌」と呼ばれている、額田王の長短歌二首と井戸王の歌一首は、数多い万葉集の中でも難解な歌の代表で、長い論争の歴史がある。問題は額田王の二首よりも、それに「和した」とされる井戸王の歌の難解さにある。額田王の二首は天智天皇の歌を代作したものとされ、遷都の儀式で歌われたという理解がほぼ定説となっている。しかし、井戸王の歌は、この一首だけを取り出して見れば恋の歌以外のなにものでもなく、遷都の儀式での天皇の歌に和した歌と考えることはかなり難しい。そこで、首尾一貫した解釈をもとめて、多くの先学がさまざまな解釈を提出してきた。しかし、額田王が代作したとされる天智の歌と井戸王の歌の間の溝は極めて大きく、先学の解釈がそれを乗り越えたとは言い難い。本稿では、額田王の二首は遷都儀式における呪歌であるという通説、国神であり祟る神でもある三輪山の神に対する鎮魂と惜別の歌であるという通説を批判的に検討し、額田王の歌は「姿を見せてくれたら心をこめて奉仕をします」と神に誓った「誓約の歌」であることを示した。天皇一行の、この誓約によつて、神は一度は姿を見せたと思われる。しかし最後の別れを告げて近江の国へゆくべき奈良山の峠において、三輪山は天皇の一行に姿を見せようとはしなかった。そして天皇は意のままにならない神に向かつて激しい怒りの歌を投げつけた。神と人が鋭く対立し、破局が不可避と思われた時、井戸王は三輪山の神に語りかけた。井戸王は、神婚譚を前提にして三輪山の神に「わが背」と語りかけ、自分が「神の妻」となることを申し出たのである。井戸王の歌が恋の歌なのはそのためだったのである。これほど美しい女性の献身ならば、神は天智を寛恕されるに違いないこう考えて、遷都の一行は奈良山を越えて行くことができたのである。額田王と井戸王の歌によつて神の心は動かされ、遷都事業の危機は救われた。二人の歌の力に、人々は強い感銘を受けたに違いない。
机译:Nakuda国王的两首长歌和短歌和Ido国王的一首歌被称为“ Miwayama Rebetsuka”,是许多万叶州最深奥的歌曲的代表,并且历史悠久。问题在于,据说伊东国王的歌曲的难度很大,据说是与之“协调”的,而不是中田国王的两位负责人。据说,中田王的两位团长是天池皇帝的歌的替代品,人们几乎都接受了他们在首都迁址仪式上的演唱。但是,如果只掏出那只头,伊东国王的歌只不过是一首爱的歌,很难将其视为与首都迁址仪式上与天皇的歌和谐的歌。因此,许多前辈为了寻求连贯的解释已经提交了各种解释。但是,据说由中田大夫制作的天池歌和井户歌之间的差距非常大,很难说对以前学校的解释已经克服了。在这篇论文中,我们批判性地考察了中田王的两位首长在搬迁仪式中的诅咒之歌的神话,以及对于三way山神(这也是民族神和崇拜之神)来说,这是一首安魂曲和告别之歌的神话。表明那是向上帝发誓的“誓约之歌”,“如果你向我展示,我将竭诚为你服务。”通过皇帝和他的政党的保证,上帝似乎曾经出现过一次。但是,美满间拒绝参加在奈良山口的皇帝聚会,在那里他应该告别近江之地。皇帝向那不情愿的上帝投下了愤怒的歌。当神与人之间发生激烈冲突且灾难不可避免时,伊多国王向美薇亚玛神讲话。在一次神圣的婚姻的前提下,伊藤向美薇亚玛神说“我的背”,并提出要成为“神的妻子”。这就是为什么伊豆国王的歌是爱的歌。有了这样一位美丽妇女的奉献精神,上帝一定已经解除了天池,而被迁移的首都可以越过奈良山。中田国王和伊豆国王的歌曲打动了上帝的心,挽救了搬迁项目的危机。人们一定对他们歌曲的力量印象深刻。

著录项

相似文献

  • 外文文献
  • 中文文献
  • 专利
获取原文

客服邮箱:kefu@zhangqiaokeyan.com

京公网安备:11010802029741号 ICP备案号:京ICP备15016152号-6 六维联合信息科技 (北京) 有限公司©版权所有
  • 客服微信

  • 服务号