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建築としての「水の波紋1995」展

机译:“水波纹1995”建筑展览

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摘要

私が大学を卒業した1995年は、忘れることのできない年である。年が明けて間もなく、2月頭の卒業設計提出に向け慌ただしい生活を送る最中、阪神•淡路大震災が起きた。徹夜の眠い目をこすりながらテレビを付け、その映像に釘付けになったのが1月17日未明のことである。提出後は古谷誠章研究室でせんだいメディアテークの設計競技に参加したが、その公開二次審査の2日前、3月20日にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こっている。コンぺ案は、情報端末に検索性能を預け複雑な館内を自由に散策させる新しい公共施設で、輝かしいウェブ時代の建築を予感させる提案であったが、一方のサリン事件は情報化社会の負の一面を印象付けた。いずれも、情報と建築の関係を見直す契機だったと言ってよい。この年爆発的に普及したインターネットを梃子として、バブル崩壊後の沈黙が一気に破られた。そんな年であった。そして同じ年の秋、青山キラー通りのワタリウムで開催されたのが「水の波紋1995」展である。キュレーターは「シャンブル•ダミ」展ゃドクメンタ9で知られるヤン•フート。「ワタリウムで開催された」と害いたが、この展覧会の特徴は、作品の展示場所がワタリウムの館内を飛び出し、周辺の駅や寺など屋外にまで広がったことである。来場者はガイドブックを片手に街を散策するようにして作品群を鑑賞する。
机译:我大学毕业的1995年是我永远不会忘记的一年。新年伊始,不久,阪神淡路大地震发生了,他忙着生活,正准备在2月初提交毕业设计。在1月17日凌晨之前,我一边抚摸着一个通宵的昏昏欲睡的眼睛,一边打开电视,迷上了视频。提交后,我参加了在Seiya Furuya实验室的仙台Mediatheque设计竞赛,但是在第二次公开放映的前两天,3月20日,奥姆真理教发生了一次Sarin地铁事故。竞赛提案是一种新的公共设施,它将搜索性能委托给信息终端,并允许访问者在复杂的大厅中自由行走,并且是使我们感受到辉煌的Web时代的体系结构的提案。留下深刻的印象。可以说,这些都是重新审视信息与体系结构之间关系的机会。使用今年爆炸的互联网作为杠杆,泡沫破裂后的沉默立刻被打破了。就是这样的一年。同年秋天,在青山杀手街的Watarium举行了“ Water Ripples 1995”展览。策展人是因“ Chambre Dami”展览和Documenta 9而闻名的Yang Hoot。虽然“在Watarium中举行”是有害的,但本次展览的特点是该作品的展览地点跳出了Watarium,并扩展到了周围的车站和寺庙等外部。参观者可以在城市中随身携带指南,欣赏作品。

著录项

  • 来源
    《建築雑誌》 |2015年第1673期|36-36|共1页
  • 作者

    吉村靖孝;

  • 作者单位

    吉村靖孝建築設計事務所;

  • 收录信息
  • 原文格式 PDF
  • 正文语种 jpn
  • 中图分类
  • 关键词

  • 入库时间 2022-08-17 23:47:48

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