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「覚え書」に見る戦時下の思考の到達点

机译:备忘录中所见的战争期间的思想观点

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摘要

「建築の伝統と創造について」と副題を付けられ、総文字数12,000字を超える長大な論文「覚え書」は、1942年の夏から秋にかけて実施された大東亜建設記念営造計画コンペの発表誌である『建築雑誌』1942年12月号に掲載された。「百塔会 前川國男」と記された筆者の肩書きにも前川の思いがうかがえる。というのも、日誌の中で「百塔会」のことが何度も記されていたように、この文章は、「百塔会発足の言葉」と日誌に書き留めた考えを公の場で書き記しておきたいとの思いから綴られたことがわかるカもだ。「建築の前夜」から半年ほどの間に、前川は大東亜建築委員会の議論に加わり、より深く時代状況に踏み込んでいる。因みに、執筆の日付として記された「昭和十七年十一月十七日」は、大東亜建築委員会の「建築様式」を議論していた第4小委員会が最後のまとめの議論を行っていた最中にあたる。そうした意味からも、この論文には、より切実な形で前川の思考を読み取ることができる。また、「建築の前夜」に比べて難解な文体になっているのは、当時の思想書からの影響があったからだと思われる。そこで、蔵書への書き込みと日誌への書き写しに痕跡をとどめる先の三木清の本を含む次の3册の思想書について確認しておきたい。
机译:该回忆录是一篇长篇论文,共12,000多个字符,标题为“关于建筑的传统与创造”,发表于1942年夏至秋的大托亚建筑纪念项目竞赛中。它发表在1942年12月的建筑杂志上。前川的思想也可以从作者的标题为“百塔国川前夫”中看出。这是因为,随着《百塔》杂志在该杂志中被多次提及,这句话是在公众场合写下的,其想法在该杂志中被记为“建立一百座塔的词”。一些蚊子发现它们被拼出是因为他们想保留它。在“建筑学前夕”大约六个月后,前川加入大同建筑委员会的讨论,并深入探讨了这一情况。顺便说一句,写这篇文章的日期是“ 1952年11月17日”,正在讨论大同建筑委员会“建筑风格”的第四小组委员会进行了最后的总结性讨论。我走的时候就打了。从这个角度出发,本文可以更认真地解读前川的思想。此外,与“建筑前夕”相比,深奥的风格似乎受到当时思想书籍的影响。因此,我想检查以下三本思想书,包括三木清(Kyyoshi Miki)的书,该书在收藏中留下了写作痕迹,在日记中也有抄写本。

著录项

  • 来源
    《建築ジャーナル》 |2015年第12期|42-46|共5页
  • 作者

    松隈 洋;

  • 作者单位
  • 收录信息
  • 原文格式 PDF
  • 正文语种 jpn
  • 中图分类
  • 关键词

  • 入库时间 2022-08-18 00:02:23

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