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神社に付属した茶屋から山小屋への変遷 - 富士山の山小屋建築に関する研究(8)

机译:从与神社相连的茶馆到山间小屋的过渡:富士山山间小屋建筑研究(8)

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摘要

本稿では、吉田口登山道の四合五勺目に現存する、神社rnと小屋が隣接して建てられた御座石浅間・井上小屋についrnて史料・実測・聞き取り調査から把握したことを報告した。rn 神社・小屋ともに昭和55 年頃から閉鎖され荒廃が進み、rn立ち入りが可能な範囲内での実測調査となり、また多くのrn部材が転用されていることから復元は十分にできなかっrnた。しかし、大まかではあるものの、その空間構成の変遷rnを把握することができた。近世末には主として神社+奥rnまった付属屋という構成であったが、大正末までに神社とrn小屋がともに登山道に面する平側の出を合わせて並ぶよrnうになった。昭和21-23 年には小屋が棟高を上げて建て替rnえられ、後に山側・西側へ規模を拡大した。神社は大正末rnから外観を変えていないが、昭和40 年頃には神殿の床高rnを上げて改築し山側へ規模を拡大した。御座石浅間・井上rn小屋の変遷は、祠堂の付属屋として派生した、富士山におrnける山小屋建築の在り方の一端を示すものと考える。
机译:在本文中,我们报告了在吉田口山麓第5盐垣附近的神社rn和小屋旁边建造的Gozaishi Sengen和Inoue小屋的事实,并从历史资料,实际测量和访谈中得到了证实。 1980自1980年左右以来,神社和小屋都关闭了,破坏进行了。It这是一项在可能进入的范围内进行的调查,许多成员被改道,因此修复工作无法充分进行。但是,尽管粗略,但我能够掌握空间构成的过渡。在现代早期末期,它主要由神社和隐蔽的小屋组成,但是到大正时代结束时,神社和农舍都排在面向山径的平坦侧。 1948年,通过提高建筑高度对小屋进行了重建,后来扩展到了山脉和西侧。自大正时代末期以来,神社的外观没有改变,但在1965年左右,神社的地面高度rn升高并重建,以扩大规模到山侧。 Gozaishi Sengen / Inoue rn小屋的过渡被认为是富士山山区小屋建筑理想方式的一部分,而富士山是作为神社的附属房屋而建的。

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