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【24h】

1960 年代の屋根雪処理による通りへの働きかけ:直線状雁⽊通りの城下町・上越市< ⾼⽥> の居住特性 その3

机译:1960年代通过屋顶积雪处理在街道上的工作:在一条直线的山羊街道上的城堡镇/上越市<能屋>的生活特征第3部分

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摘要

⾼⽥では雪処理を考慮して各⼾は短冊状の敷地の中で主屋を接道させ、後ろ側に空地を確保する屋敷配置としていた。主屋は切り妻屋根の平⼊りとし、棟を境として表側と裏側で雪処理の⽅法を変えていた。表側では雁⽊を利⽤して屋根雪を通りに落とし、各⼾の出⼊りのために通りに落とした雪を搬出する橇ミチをつくっていた。橇ミチとなる雪の基盤を雁⽊の軒先から離して積んだため、雁⽊は町家の並びを束ねる通路空間となった( 図4)。これにより暗く⻑い雁⽊通りの先に各⼾の明るいパブリックスペースが広がるという空間概念が街全体に共有されていた( 図5)。1980 年代の⼀⻫除雪から、地域住⺠による通りのミチツケは⾏われていない。現在も雁⽊通りが存続する理由は、この空間概念が住⺠に受け継がれているためと考えられる。
机译:另一方面,考虑到降雪处理,每个人在带状场所上都有一间主屋,并在其后部放置了一个豪宅以确保有开放空间。主屋有一个平坦的山墙屋顶,在建筑物的正面和背面之间改变了降雪方法。在前面,用鹅把屋顶的雪滴落到街道上,并制作了一个雪橇Michi来执行落在街道上的积雪,以便每个孩子进出。由于雪橇Michi的积雪基础被堆积成与鹅的屋檐分开,所以鹅变成了一个通道空间,将成排的联排别墅捆绑在一起(图4)。结果,空间的概念在整个城市中得到了共享,明亮的公共空间散布在黑雁和长雁之间(图5)。由于1980年代漫长的积雪,当地居民并未进行街头mitchi。人们认为,Kariyadori继续存在的原因是该空间的概念已传递给居民。

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