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吉阪隆正の初期の記述における「造形」の言説について

机译:高mas义阪早期描写中的“造型”话语

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摘要

吉阪隆正は,1961 年4 月から1962 年10 月までアルゼンチンのツクマン国立大学にて招聘教授として招かれた。この吉阪隆正初期の活動について,息子・吉阪正邦氏は,『吉阪隆正の迷宮』内で以下のように記述している。「アルゼンチン滞在の経験は,六三年に始まる「有形学」の構想や,六五年以降の都市計画研究室としての活動にも影響を与えた。」1上記のように,アルゼンチン滞在の経験が,その後の思想や活動に大きな影響を与えていることがわかる。そこで本稿では,吉阪がアルゼンチンから帰国するまでの初期の記述に限定し,吉阪の思想について迫っていく。
机译:1961年4月至1962年10月,高坂义阪应邀作为阿根廷土库曼国立大学的邀请教授。关于高阪吉阪的早期活动,他的儿子正国吉阪在《高冈吉阪迷宫》中写道如下。 “留在阿根廷的经历影响了始于63年的“有形物质”的概念以及65岁以后从事城市规划实验室的活动。 [1]如上所述,可以看出留在阿根廷的经历对后来的思想和活动有很大的影响。因此,在本文中,我们仅限于对吉阪从阿根廷回来的早期描述,并接近吉阪的思想。

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