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On the Position of the 'Renaissance' in Liang Qi-chaou27s Historical Thought

机译:论梁启超历史思想中“文艺复兴”的地位

摘要

本稿は梁啓超のルネッサンスの位置づけとを通して、梁啓超の清代の学術観を検討するものである。私事になるが、京都大学人文科学研究所の「梁啓超の研究」班に参加し、日本を媒介とした梁啓超の西欧文化・文明の受容を研究する機会を得た。筆者は、主に梁啓超の中国哲学研究を課題としたのであるが、以前から常々感じてきた疑問があった。それは、清代の学術史を述べる際に必ずといってよいほど触れられる梁啓超の『清代学術概論』の記述はどこまで信頼できるものなのであろうかということである。もちろん、著作というものは、どのように客観的記述を心掛けても、著者の思想を反映するものであるが、『清代学術概論』はそういったレベル以上の梁啓超の意志が感じられる。それは例えば小野氏が「ヨーロッパを座標軸に清代学術を分析する、という大胆なこころみは、むしろ国学それ自体に即して、さめた眼で研究しようとした国故整理の流れのなかにあっては、やはりきわめてユニークな存在であった、といえるであろう。」と指摘するようにヨーロッパに視点をおいた点、それを「座標軸」として中国の学術を評価しようとする点にあるのだろう。梁啓超自身が自序で「わたしは十八年前、「論中国学術思想変遷之大勢」を著し、『新民叢報』に発表した。その第八章で清代の学術について論じた」「わたくしのこんにちにおける根本的な考え方は、十八年前と大きな違いはない。」(『清代学術概論』自序)と述べている。つまり、『清代学術概論』は、『新民叢報』に連載した「論中国学術思想変遷之大勢」の第八章「近世之学術」の部分を下敷きにしているわけである。これまで「論中国学術思想変遷之大勢」に注目した研究は少なかった。しかし、先程述べた、ヨーロッパを座標軸とした分析の視点は「論中国学術思想変遷之大勢」ですでに獲得されているのではないか。ただし、それが質を変えて『清代学術概論』に継承されているのではないかと考えられる。そこで、本稿は『清代学術概論』に先行する「論中国学術思想変遷之大勢」に注目し、その内容を検討することによって、一九〇〇年代の梁啓超の清代学術観を検討してその意味を考えてみようとするものである。
机译:本文通过将其定位为文艺复兴时期来考察凉京郎对清朝时代的学术观点。作为个人事务,我参加了京都大学人文学院的“梁庆一研究”小组,并有机会研究了日本对琉球庆三的西方文化和文明的接受。作者主要关注梁启修的中国哲学研究,但始终存在一个问题。就是说,梁庆超写的《清朝概论》的描述是多么可信,在描述清朝的学术历史时总是被提及。当然,无论写得多么客观,写作都反映了作者的意识形态,但在《清朝概论》中,我感受到了凉京郎的意愿。小野先生说:“例如,以欧洲为坐标轴来分析清朝的大胆打算,恰恰是在国家重新安排的过程中,试图认真研究与国家科学本身相一致的问题。正如欧洲指出的那样,重点是试图通过将其用作“坐标轴”来评估中国学者。我们开始做吧。梁启超本人写了“我十八年前,中国学术思想发生了许多变化”,并发表在《新民书报》上。我在第八章讨论了清朝.``“今天我的生活的基本观念与18年前没有太大不同。” ..换句话说,《清代科学概论》是根据《新民述报》的第8章“中国哲学学术思想的重大变化”的“近代早期科学”部分编写的。迄今为止,很少有研究关注“中国学术思想的大部分变化”。但是,我前面提到的以欧洲为坐标轴进行分析的观点可能已经被“大多数中国学术思想的变化”所接受。但是,人们认为它的质量已经改变,并在《清朝概论》中得到了继承。因此,本文着眼于“清代概论”之前的“中国学术思想的大部分变化”,并考察其内容以考察梁启乔在1900年代的清代观。我尝试考虑一下它的含义。

著录项

  • 作者

    末岡 宏;

  • 作者单位
  • 年度 1996
  • 总页数
  • 原文格式 PDF
  • 正文语种 ja
  • 中图分类

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