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【24h】

メロン伸問の系譜,日本への渡来メロン(Ⅳ)

机译:瓜子传承,日本来瓜的家谱(四)

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摘要

温故知新,弥生から現代までの日本のメロンの歴史物語である。 1972~2002年までに筆者が計測,同定した85遺跡からの出土種子の実態を中心に,この期間中に得られた情報を添えた。メロン仲間C. meloの種子が九州の熊本,長崎,佐賀,福岡県から,近畿,中部,関東を経て東北の秋田,宮城県に至る1都2府32県の弥生から江戸時代にかけての145遺跡から出土している(2007年現在)。 その中には遺跡当たり5,000粒以上(写真19)も出土した遺跡が8か所もあった。 種子出土遺構は神が宿る場所としての溝,環濠,井戸(すべて水に関係する)が多いが,トイレやトイレ様ピットもあった。 出土遺跡数を時代別にみると,縄文0,弥生49,古墳32,奈良、平安時代31,中世20,江戸4,不明または複合9遺跡,合計145遺跡となる(表13は2007年)。 縄文晩期として佐賀県の菜畑遺跡から唯一粒出土していたが,異層からの混入の疑いが濃いので資料から除外した。 現在までに縄文時代からの出土がないのは,雑草メロンもマクワもまだこの時代には日本には渡来していなかったためであろう。 考古学的な追跡を始めた頃,縄文遺跡からの種子出土を期待していた。
机译:这是从近代千代市弥生到现在的日本甜瓜的历史故事。随附此期间获得的信息,重点关注作者从1972年至2002年对85个地点进行挖掘和鉴定的种子的实际状况。 1个都会区从弥生至江户时代的145具瓜类同伴瓜种子,从九州的熊本,长崎,佐贺和福冈县到东北的秋田和宫城县的2个县和32个县,经由近畿,中部和关东从(截至2007年)开始挖掘。其中,有8个站点每个站点挖掘了超过5,000粒谷物(照片19)。从种子中挖出的大部分残骸都有沟渠,护城河和水井(都与水有关)作为神居住的地方,但也有厕所和类似厕所的坑。从时代的角度来看,共有145个遗址,包括0条绳纹,49个弥生,32个古墓冢,奈良,平安时代31个,20个,江户时代4个,未知或复杂的9个遗址(表13是2007年)。它是绳文时代后期从佐贺县的菜园遗址挖掘出的唯一谷物,但是由于强烈怀疑来自不同层的污染,因此未将其从数据中排除。迄今为止尚未从绳文时代发掘的原因可能是因为杂草瓜和幕张都没有到达日本。当我开始考古追踪时,我希望从绳文遗址发掘种子。

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