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トルコにおける国家中心的公共圏認識の定着-言説分析

机译:在土耳其建立以国家为中心的公共场所识别-话语分析

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摘要

トルコ社会において過去10年近くの間に,国家中心的な公共圏の認識が広まったのはなぜか。本稿はその主因を,2002~2007年に起きた「公共圏」論争が,イスラーム的スカーフの着用をめぐる論争に従属して展開したことに求め,新聞データベースを材料にした言説分析から,以下の答えを導く。第1に,2002年の論争開始にともない「公共圏」という表現が初めて広く一般の目に触れるようになったという点で,この論争による「公共圏」の宣伝効果は大きかった。しかしスカーフ着用問題が政治状況の変化により論争議題でなくなると,公共圏がどうあるべきかは,現状維持派の世俗派のみならず,挑戦者であるイスラーム派にとっても重要性がなくなったため,「公共圏」論争は失速した。第2に,現状維持派である世俗派エリートが用いた言説フレームは,国家が「公共圏」の中立性を守るためにスカーフ着用を禁止するというものだった。この支配的フレームに対し,イスラーム派は当初,バーハマス的公共圏理論を援用してスカーフ着用を擁護する代替的対抗フレームを使っていた。しかし世俗派の強硬な抵抗に遭うと,国家的公共圏の抑圧性を強調する否定的対抗フレームをより頻繁に用いるようになった。これは世俗派批判としては妥当だったものの,イスラーム派が国家的公共圏定義を追認することにつながった。ちょうどその頃,「公共圏」論争は上述の理由で失速していた。そのため「公共圏」についてのトルコ社会のおおよその認識は,国家的定義が支配的なまま凍結されたのである。
机译:为什么在过去十年左右的时间里,对以国家为中心的公共领域的认可在土耳其社会中得到传播?本文发现,造成这种情况的主要原因是2002年至2007年之间发生的“公共区域”争议是根据伊斯兰围巾的穿着争议而发展的,而根据使用报纸数据库进行的话语分析,以下是引导答案。首先,随着争议的开始,2002年,“公共区域”一词首次广泛出现,并且该争议的宣传效果很大。然而,当由于政治形势的变化而不再是引起争议的围巾问题时,公共领域的重要性不仅对现状的世俗派别而且对挑战者的伊斯兰教派都不重要。 “公共区域”的辩论已经放缓。其次,现状精英所使用的话语框架是禁止国家戴围巾以保护“公共领域”的中立性。为了响应这一主导框架,伊斯兰教派最初借助Barhamas公共领域理论使用了一种替代的反框架来捍卫围巾的穿着。但是,面对强烈的世俗抵抗,他开始更频繁地使用消极的反框架,强调国家公共领域的压迫性。尽管这是对世俗派系的有效批评,但它导致伊斯兰派系确认了国家公共领域的定义。当时,由于上述原因,“公共区域”辩论陷入僵局。结果,土耳其社会对“公共区域”的一般认识被冻结了,而国家定义占主导地位。

著录项

  • 来源
    《アジア経済》 |2011年第4期|共25页
  • 作者

    間寧;

  • 作者单位
  • 收录信息
  • 原文格式 PDF
  • 正文语种 jpn
  • 中图分类 各国经济;
  • 关键词

  • 入库时间 2022-08-19 05:48:48

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