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STYLISTIC ANALYSIS OF THE ARCHITECTURAL ORNAMENTATION OF THE STOAS OF THE ASKLEPIEION AT ANCIENT MESSENE

机译:古代甲烯骨孔的建筑装饰风格分析。

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摘要

The Hellenistic sanctuary of the Asklepios at Messene has a square courtyard surrounded by the Stoas from its four sides. It has been considered by that the Asklepieion was built between the end of the 3rd century and the 2nd century B.C. Nevertheless, the recent studies of the buildings of the Asklepieion assigned that the construction of the sanctuary is dated as the first half of the 2nd century B.C. The stylistic analysis of the architectural ornamentation demonstrates that the Stoas are dated to the first half of the 2nd century B.C., which agrees with the recent dating of the other buildings of the Asklepieion and archaeological findings. It is also confirmed that the ornamentations of the Stoas belong to the traditional architecture from the early Hellenistic period back to the middle of the 4th century to the 3rd century B.C. The Corinthian Stoa was influenced by the trend of the founder, who is believed to be a king of Macedonia.%1960年代にオルランドスによって発掘された古代都巿メッセネの アスクレピオス神域は、中央のドリス式神殿と祭壇を囲む矩形の中 庭に面してコリント式のストア(列柱廊)が建ち、その背後に民会 場や会議場などがあった。ストァを含むアスクレピオス神域の建設 年代は、現在の発掘者であるテメリス教授による前3世紀末から前 2世紀とする大まかな見解が広く知られている。これは、アスクレ ピオス神域が建てられる以前に同じ敷地にあった、古い神域の最後 の建設フェーズが前3世紀末であることを根拠としている。しかし 近年の研究では、前2世紀前半とする意見が多い。その主な根拠は、 アスクレピオス神域の北西に立つアルテミス•ォルシア神域付近か ら発見されたコインと碑文に基づいている。アルテミス·ォルシア 神域は、アスクレピオス神域が建設されたときにその機能が神域に 取り込まれたが、この神域から出土したコインと碑文がおよそ前2 世紀半ばであると考えられているからである。また中庭に立つドリ ス式神殿も、様式的に見て前2世紀前半であると比定されている。 本稿ではストァの建築装飾の様式分析を行って、アスクレピオス神 域およびストァの建設年代を検証すると共に、ヘレニズム建築における当該ストァの様式的特徴を明らかにする。 正方形または円筒形プリンスの上に立つ礎盤は、トルス•スコティァ•トルスからなるいわゆるアツティカ式礎盤である。アツティ力式礎盤は、前5世紀末にアテネで最初に使われて以降、前3世紀 以降ペロポネソス半島で受け入れられた。正方形プリンスは、前3 世紀末より小アジアで使われ始め、前2世紀を通じて多くの類例が見られる。円柱の胡麻柄繰形フルートは、前3世紀半ばから前2世 紀にかけて類例が見られる。コリント式柱頭は、大小2つのタイプが存在し、大きいタイプは内部柱、小さいタイプは外部柱に使用された。大小いずれの柱頭も、アカンサスの葉の様式から見て、前3世紀ではなく前2世紀前半の特徴がみられる。また柱頭の中央には、 半植物=半人間の形態をしたエロスまたはニケの彫刻があり、これは前2世紀ごろから流行した建築装飾のモチーフである。さらに、 フリーズの浮彫彫刻は、花飾りのあるブクラ二ァ(牛頭骨)とフィァラ(丸杯)とが交互に並び、花綱で結ばれている。ブクラ-ァは、ヘレニズム建築で最もポピュラーな建築装飾のモチーフの一つであ つた。ブクラニァとフィアラ(またはロゼッタなどの円形の装飾)は前3世紀から見られ、前2世紀には多くの類例が見られるが、逆に前1世紀にはほとんど類例がない。ァーキトレイプの底面に見られる長方形の装飾帯は、プロポーションからみて前2世紀のもので ある。シーマはライオン頭部の樋口とその間の植物模様によって装 飾されている。ライオンは、鼻柱が横に広く、眉毛付近がふくらん でおり、丸い目をしている点に特徴があり、前3世紀半ばのサモトラケのシーマによく似ている。シーマの植物模様は、前4世紀半ばから見られる古い構図で、前2世紀まで多くの類例がある。アンテ フィタスは、2枚の水平なアカンサスの葉の上にパルメッ卜が載る構図で、シーマと同様に前4世紀半ばから前2世紀まで類例がある。 このようにメッセネのストァの建築装飾は、様式によって厳密な 編年は困難であるが、およそ前3世紀から前2世紀までの特徴を備 えていることが分かる。ヘレニズム建築は地域の建築的伝統を強く受け継ぐ傾向があり、ペロポネソス半島に位置するメッセネにおいては、盛期ヘレニズムになっても古くから続く建築的伝統が保持されていた。今回の建築装飾の分析によって、ギリシア本七および小アジアにおける盛期ヘレニズムの建築が、も-典末期から初期へレニズム期の伝統を引き継いでいることが裏付けられた。また、比較的厳密な編年が可能であるコリント式柱頭のァカンザスの葉や、ァー キトレイプ底面の長方形の「装飾帯(soffit panel)」には前2世紀前半の特徴が見られ、アスクレピオス神域の新しい建設年代とも一致 する。したがってストアの建設年代も、およそ前2世紀前半と考え られる。 他方、メッセネのストァはコリント式オーダーを本格的に採用した最初のストァであり、古典期にはなかった新しい傾向が見られる。ミレトスのブーレウテリオンの門(前175~前163年建造、碑文)やアテネのォリンピエオン(前174年~未完、碑文)は、セレゥコス朝の君主アンティォコス四世ェピファネスと深い関係にあった。メッセネと同時代に建てられたこれら二つのコリント式の建物の存 在は、ヘレニズム君主が力と権威を示す新しい様式としてコリント式オーダーを好んだことを示している。メッセネはマケドニァの君 主フイリップ五世と深い関係にあったことは知られているが(プルタルコス、『英雄列伝』)、彼がアスクレピオス神域を建設したという 証拠はまだ見つかっていない。
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