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【24h】

論理と計算のしくみと私

机译:逻辑与计算机制与我

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摘要

国立大学に勤務しているのだが,最近は気が付くと,不思議な仕事をしていることが多い.例えば,今日は,角川本郷ビルにある某国立大学のハウジングオフィスという部署に,事務職員の方々と一緒に訪問した.他大学も同じだと思うが,私の勤務する大学では,国際化・グローバル化の施策の一貫として,外国人研究者や外国人教員の強化を目指していて,その方々が居住する場所について検討する委員会に属している.そのため,このようなことをすることになってしまったのである.私の勤務する大学にも職員住宅があり老朽化している.そのいくつかを改修して,国際的に恥しくないレベルに引き上げて,外国人職員の居住に供しようというプランを作ったりもする.こういうプランを提案する場合,当然ながら,改修費用の見積りをとり,必要な経費の概算も盛り込まなければならない.ただ,その建物は大学の建物であり,大学財産を管理している事務部署が管理を担当する.国際化を推進するための部署とは異なる.一方,建物の工事の見積りを取ったり,発注したりするのは,建築を専門とする部署が一手に引き受けている.見積りを取ってもらおうと,その部署にお願いに行くと,「建物を管理している部署からの依頼でないと工事をプランニングや,見積りは取ることができない」と言われる.山のものとも海のものともわからないプランのために工事のブランニングに汗を流す暇がないというのはもっともなことである.一方で,建物を管理する部署にこのプランを認めてもらうためには,国際化を推進する部署において一定の稟議を通さないといけない.もっともなことである.しかし,そのためには工事見積りがあるのが必要条件となる.これこそ,いわゆる,「デッドロック」である.オペレーティングシステムの教科書やモデル検査系の練習問題としてお馴染の概念であるが,実生活で身をもって体験するとつらい.この状況を打開するための方法は自明である.2LDKのスケルトンリフォームなど,そのへんにゴロゴロころがっている話しであり,見積りをとってくれる業者なんて,いくらでもある.そうは簡単にいかない理由は,大学において,職務の分担が規則によって決められており,各職員はその規則を忠実に守らなければならない.職員の業務は,規則から演繹的に導かれた行為によって遂行されるのである.国立大学は,以前は.文部科学省の機関であり,事務職員も教員も,国家公務員であった.行政機関が法令や規則を遵守するのは,当然である.このようにデッドロックを起す理由は建築部門と国際化を推進する部門が分れていて,二つのプロセスが職務を分散処理し,演繹的な推論とそれに基づく意思決定が分散処理されていることが理由であろう.専門性の高い職務を二つの独立した部門で行なうのは当然ではあるのだが,残念ながらデッドロックが発生してしまうのである.もっとも,このような分散システムにおける困った現象は.国立大学に限らない.ある大病院に寝たきりの老母を外来診察に連れていった人の話である.内科の定期受診の際に「血液検査の結果.炎症反応が見受けられる.入院の必要がある.原因は脊椎の感染と思われるので,明日,整形外科を受診してほしい」と言われた.次の日.同じ病院の整形外科で「血液検査の結果,炎症反応が見受けられる.入院の必要がある.脊椎の感染の原因は.肝臓の疾患であるので,明日,内科の診察を受けてほしい」と言われた.コンビユータ上でこのようになると,無限ループを起すわけだが,現実世界では幸い2回のループで済んだそうである.たった2回の繰り返しではあるものの,入院する必要のある寝たきり老母を寝台付きタクシーを使い,病院内ではストレッチヤーを押して,合計4回受診したあげく,結局,入院させてもらえなかったのである.難儀な話ではある.大病院の各診療部門は専門性が高く,独立して動作しており.分散システムとなっている.内科と整形外科という二つのプロセスが合意形成を目指して,患者と付添い家族とのペアをメッセージとしてメッセージ通信をしているのである.普段から,授業や研究で,数理論理学のモデルや計算モデルを扱っていると,その影響からか,実生活においても,ついついモデル化を行なってしまう.もちろん,モデル化を行なっても問題は何も解決するわけではない.しかしながら.実社会の現象,特に,自分自身が巻き込まれてしまった状況に対して計算モデルを与えてみると,状況を客観視して俯瞰することができる.不思議と感情が抑えられ,冷静に対処することができるようになる.このような論理と計算のしくみに基づく思考法で,実は何度も何度も救われてきた.さて,最初の話に戻ろう.事務職員の方々は規則に基づき,演繹的に行動している.「論理と計算のしくみ(岩波書店刊)」という教科書を共著しているのに,なぜ自分自身は今回演繹的に行動していないのであろうが.教員は職務内容の設定についてもかなりの自由度が認められているし,裁量労働制の下で勤務しているので,好きなだけ働くことができる.そういうことが理由かもしれないが,大学教員は研究者であるので,目の前の問題を解決したいという欲望の下に研究を行なっている.したがって,何か問題を見付けた場合,例えば「外国人教員の住居対策が不十分である」という問題を目の前にして,どこかのスイッチがONになってしまって,解決したくなったのかもしれない.この点においては,研究対象からの影響よりも.研究活動の影響の方が多いようである.自分自身のしくみを考えると,普段の生活が研究内容や研究活動の影響を結構受けてしまっているようである.皆さんはどうでしょうか?
机译:None

著录项

  • 来源
    《Computer software》 |2015年第3期|96-97|共2页
  • 作者

    西崎 真也;

  • 作者单位

    東京工業大学大学院情報理工学研究科;

  • 收录信息
  • 原文格式 PDF
  • 正文语种 jpn
  • 中图分类
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