文化財の修復と保存（その4) 文化財の加害生物種特定に向けた新たな試み

摘要

文化財に顕著な物質的損失を引き起こし，その 価値を著しく減ずる文化財害虫による被害は，文 化財保存における普遍性を持った深刻な問題のひ とつであり続けている。文化財害虫によって文化 財が食害を受けると，文化財の構成材料は不可逆 的な変化を受ける。不可逆的な変化によって文化 財から失われたものが極わずかであっても，オリ ジナルのもつ完全性を損なうこととなり，繊細な 美術工芸品などは場合によってはその文化財の本 質的な価値を損なうこともあり，その被害は深刻 である。博物館や美術館でI960年代頃から使用さ れてきた臭化メチルと酸化工チレンの混合ガスに よる定期的な保存公開施設と文化財の燻蒸は，文 化財害虫による被害を防ぐための方法として広く 用いられてきた。しかし，日常的に文化財害虫の 生息調査が行われておらず，状況が不明であるに もかかわらず定期的に燻蒸が行われる事例もあり' 燻蒸によるリスクと効果が適切に評価されないま ま過度に実施されているという問題を内包してい た。さらに日本では2004年末をもってオゾン層を 破壊する臭化メチルの生産.使用の全廃という社 会要請によって，その使用を継続する道が断たれ た。その後，文化財に安全な代替ガスも選択され てきたが，近年では国際的な開発目標である SDGsのもと地球環境や生態系，人の健康に悪影 響を及ぼす可能性のある代替ガスについても様々 な観点から見直しが求められつつある2〉。こうした中で文化財IPM (Integrated Pest Management: 総合的有害生物管理）がこの先の社会においても 文イ匕財保存における虫害対策の中核となっていく ことは想像に難くなく，本誌の解説でもすでに文 化財IPMの具体的な取り組みが紹介されている3>。 そこで，本稿では文化財IPMの根幹ともいえる 害虫モニタリング調査に焦点を当てて，特に文化財害虫の分子生物学的な検出方法について検討を 試みた最近の取り組みを紹介したい。