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多摩川のアユ産卵場の地形および物理的特徴

机译:多摩河上阿玉产卵场的地形和物理特征

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摘要

多摩川のアユの産卵場に関する記述は,明治27年度水産調査所事業報告第一部にある「波江元吉調查多摩川鮎漁業報告」が最初であろう。その中で産卵場の位置として,「漁業者は拝島村(現在の昭島市拝島町)より下流は各所に産卵が認められるとする説があるが,実際に視察するとニ子村渡船場近傍から上丸子村の間(上流は現在の二子橋付近から下流は東海道新幹線橋梁下500 m付近まで)に認められる」と記されている。その後日暮は,「多摩川にては二子村の上下一里以内(河口より約三里)にて年々産卵す」と述べている。さらに両者ともにアユの繁殖保護のため,当時この地区で周年行われている砂利採取を制限させることが必要であると記述していることから,波江の調査から20年余を経過しても,産卵期間中の砂利採取が依然として行われていることになり,日暮は最近アユがしく減っている一因はこの礫採取にあるとした。1936年(昭和11年)になり,二子橋より下流に限定されたものではあるが,砂利採取が禁止された。ただし,この措置はアユの繁殖保護というより,河床が低下したため取水困難になった用水路対策というべきものであった。また,同年,調布取水堰(河口から13.2 km)が竣工し,これより下流は汽水域となったため,実質的に産卵場は消滅した。1950年代後半になり,石田は産卵場の形成された範囲が河口から13~39 km間にあったことを報告した。さらに東京都水産試験場は第三京浜道路多摩川橋下流から中央自動車道多摩川橋下流間を調査し,第三京浜道路多摩川橋下流から四谷本宿床止上間の 4カ所で卵が採取されたことを報告しており,これは河口から約16~38 kmに相当する。今回 2007年から3年間にわたり多摩川のアユ産卵場調査を実施する機会を得たので,主に産卵場の位置と年による変化,産卵場の規模および物理的環境について紹介する。
机译:关于多摩川阿育产卵场的描述可能是1897年渔业研究所商业报告第一部分中的“海本吉长岳多摩川阿育渔业报告”中的第一篇。其中,作为产卵场的位置,有一种理论是“允许渔民在怀岛村(现今昭岛市怀岛镇)下游的各个地方产卵,但在实际检查时,是从Nikomura Tosenjo附近的Kamimaruko它被发现在村庄之间(从当前的二子桥上游到东海道新干线桥下方约500 m)。”之后,Higurashi说:“在多摩河中,每年在Futako村上下1 ri之内(从河口出来约3 ri)产卵。”此外,他们俩都表示有必要限制当时在该地区收集的砾石,以保护甜鱼的繁殖,即使自海牙调查以来已经过去了二十多年。在产卵期仍在进行砾石收集,Higurashi将此砾石收集归因于最近甜鱼的减少。 1936年(昭和11年),砾石的收集被禁止,尽管它仅限于二子桥的下游。但是,该措施不应作为甜鱼的繁殖保护,而应作为灌溉渠的措施,在灌溉渠中,由于河床降低而导致取水困难。同年,调布入口堰(距河口13.2公里)完工,下游区域变为蒸汽区,因此产卵场几乎消失了。据石田报道,在1950年代后期,产卵场形成于距河口13至39公里之间。此外,东京都水产实验站对京滨三号的多摩川大桥下游与中央高速公路的多摩川大桥的下游之间的区域进行了调查,并在京滨三道的多摩川大桥的下游与四谷本宿常熟之间的四个地点采集了鸡蛋。这相当于距河口约16至38公里。自2007年起我有机会对多摩河阿育产卵场进行了三年的调查,因此我将主要介绍产卵场的位置和年度变化,产卵场的规模以及自然环境。

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