首页> 外文期刊>CG world & digital video >海外で働く日本人アーティスト 第三十八回 糸数 弘樹
【24h】

海外で働く日本人アーティスト 第三十八回 糸数 弘樹

机译:在国外工作的日本艺术家第38板冢裕树(Hiroki Itozuka)

获取原文
获取原文并翻译 | 示例
       

摘要

私の生まれは久米島という沖縛の離島で、今考えると「ないものは自分でつくる」という田舎で育った経験が、CG制作にも影響していると思います。竹、ゴム、割り箸などでいろいろなものを工夫してつくり、時には7mの細長いカヌーをつくったこともあります。今の集中力もそこからきている気がします。琉球大学 教育学部に入った理由は、先生の中でも美術の先生は楽しそうに見えたという単純な理由で(笑)、美術の先生になりたかったからです。その頃は「教育とはなんぞや?」と真剣に考えたことはありませんでした。琉球大学には一浪して入ったのですが、大学に合格したことで「人生の目標を達成した」と勘ちがいをしてほとんど勉強をしなくなり、昼はウィンドサーフィン、夜は家庭教師、夜中は居酒屋や友人の家で飲み、午前中は寝るという生活でした。ところが在学中に工業デザインに興味をもち、大学4年のときに留学を決意。ロサンゼルスのパサデナにある工業デザインで有名なアート·センター大学を目指して、人が変わったように勉強するようになったのです。
机译:我出生于一个离岸岛屿久米岛(Kumejima),现在想起来,我认为在乡村长大的经历,“创造我不拥有的东西”影响了CG的生产。我用竹子,橡胶,一次性筷子等做成了各种各样的东西,有时还做成了一个长7 m的独木舟。我觉得我目前的注意力来自于此。我进入琉球大学教育学院的原因是因为我想成为一名美术老师,原因很简单,美术老师看上去很有趣(笑)。那时,我从未真正想到过“什么是教育?”我去了琉球大学很长一段时间,但是当我通过大学时,我以为自己实现了自己的人生目标。晚上,我在居酒屋或朋友家喝一杯,然后早晨上床睡觉。但是,当我在学校的时候,我对工业设计产生了兴趣,并在我大学四年级时决定出国学习。我开始以另一种方式学习,瞄准的是以工业设计而闻名的洛杉矶帕萨迪纳艺术中心大学。

著录项

  • 来源
    《CG world & digital video》 |2015年第6期|142-143|共2页
  • 作者

  • 作者单位
  • 收录信息
  • 原文格式 PDF
  • 正文语种 jpn
  • 中图分类
  • 关键词

  • 入库时间 2022-08-18 02:02:12

相似文献

  • 外文文献
  • 中文文献
  • 专利
获取原文

客服邮箱:kefu@zhangqiaokeyan.com

京公网安备:11010802029741号 ICP备案号:京ICP备15016152号-6 六维联合信息科技 (北京) 有限公司©版权所有
  • 客服微信

  • 服务号