「建築の前夜」に込められたもの

摘要

続いて、前川國男が太平洋戦争下に書きとめた最も重要な論文であり、思考の到達点だと思われる「建築の前夜」(『新建築』1942年5月号)と「覚え書」(『建築雑誌』1942年12月号)を取り上げて検証したい。この「建築の前夜」と題された前川の論文には、先に見たように、太平洋戦争前夜の1941年3月から書き始められた日誌における内省的な思考と、蔵書に見られる技術史ゃ哲学など、幅広い本の精読から生まれた建築についての原理的な問いが綴られている。また、この論文執筆の背景には、当時、前川が議論に参加していた「建築連合協議委員会」も大きく影響していたに違いない。この委員会は、建築学会、日本建築協会、日本建築士会、建築業協会の4会連合の下に、佐野利器を委員長として、1941年3月に設置され、前川もその追加委員として同年の8月から議論に加わっていた。しかし、それは、戦争へと建築技術者を動員し、建築界が戦時下を生き延びるための体制づくりの議論でしかなく、建築の本質を考えようとするような性格のものではなかった。こうした中、前川は、ある危機感を持ってこの文章を記したのだと思われる。それは同時に、前川が日誌の冒頭に掲げた「資本主義社会に於ける経済的合理主義と芸術との関係に就き一応考を纏めたき希望甚だ切なり」という自らの問いに答えようとする作業でもあったのだろう。こうして、文章の冒頭で、前川は、日誌にも引用したジョン•ラスキンの言葉を引きつつ、次のような問いを立てることから始める。