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ワックスマンとの交流戦後デザイン事始2

机译:ワックスマンとの交流戦後デザイン事始2

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摘要

1955年秋,剣持勇との知遇から日本に招待される機会を得たコンラッドワックスマンくKonradWachsmann, 1901-80年)は,そのお礼として,東京大学工学部の教室にてワックスマンゼミを実施した.当時,ワックスマンゼミ委員会(丹下健三,坪井善勝,吉村順三,武基雄,吉阪隆正,池辺陽,浜口隆一,大江宏,浅田孝,剣持勇,芦原義信など)が財務も担って成功させたのである.この時集められた21名の学生たち(磯崎新,内田孝,栄久庵憲司,奥村まこと,大須賀常良,小野新,川口衛,川添智利,小谷喬之助,今辰輔,酒井康,佐々木宏,柴田寛二,鈴木一,高浜和秀,月瀬敏夫,寺井徹,平田晴子,松本哲夫,茂木計一郎,吉田安子)が,その当時の委員会の先生たちと同年齢に達したため,有志で謝恩会を企画し,再度の来日を要請,1979年5月8日,24年りに彼との再会を果たした. 剣持勇のデザインした京王プラザホテルのインペリアルスイートで全員に24年間の仕事を説明させ,委員会の先生や元学生たちと共にタ刻からのパーティで思い出話に花を咲かせたが,(1971年に亡くなった)剣持がいないのがさびしいと涙を流した.その後,東京と京都で講演をし,前回同様に自身の24年間を語ったが,残念なことに,帰国1年後の1980年11月25日,79歳の生涯を閉じた.

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