首页> 外文期刊>建築ジャーナル >前川國男論◎戦後編第41回コンペと博覧会で培われた方法論
【24h】

前川國男論◎戦後編第41回コンペと博覧会で培われた方法論

机译:前川國男論◎戦後編第41回コンペと博覧会で培われた方法論

获取原文
获取原文并翻译 | 示例
       

摘要

弘前巿民会館で試みられた「ランダム·ウォール」という名のリズミカルな壁柱による新しい構造体と閉じた内省的な空間は、どのようにして生み出されたのだろうか。また、そこには、どのような前川の考え方の変化があったのか。そのことを、より広い視点から検証しようとするとき、スケッチ·ブックに残された前川の直筆スケッチが手がかりを与えてくれる。実は、その多くは、1986年6月26日の前川没後に見つかったものだ。村松貞次郎、丹下健三、大髙正人らによって、没後間もなく、東京·赤坂のTOTOギャラリー·間で、追悼「前川國男」展(1986年8月18日~27日)の開催が決まる。そのため、展示担当者の一人として所長室を整理したところ、書棚の下から埋もれていた大量のスケッチ·ブックが出てきたのである。もちろん、前川事務所の設立50周年を記念して1985年に刊行された前川の生前最後の著書『前川國男=コスモスを方法』(私家版)に収録されたように、晚年の数冊のスケッチ·ブックについては、すでにその存在は知られていた。しかし、没後に新たに見つかった50冊を超えるスケッチ·ブックによって、所員の全く知らなかった数多くのプロジェクトの設計プロセスにおける前川の思考の軌跡を読み取ることが初めて可能となったのだ。その中には、すでに紹介した日本相互銀行本店(1952年)、神奈川県立図書館·音楽堂(1954年)、ブリュッセル万国博日本館(1958年)、京都会館(1960年)のスケッチも含まれていた。そして、興味深いことに、弘前市民会館の外観と平面のスケッチが描かれたスケッチ·ブックの続くページには、ニューヨーク世界博覧会日本館(1964年)、埼玉会館(1966年)、蛇の目ミシン工業本社ビル(1965年)、東京カテドラル指名コンペ応募案(1962年)のスケッチが入り混じっていた。また、別のスケッチ·ブックにも、ニューヨーク博日本館、蛇の目ミシン、埼玉会館[図1]、東京カテドラル[図2]のスケッチが描かれていたのである。そこには、併行して設計が進んでいた複数のプロジェタトの中で、前川がどのように思考を重ねていたのかが図らずも記録されており、何らかの設計方法をめぐるテーマの共通性が読み取れるのではなかろうか。そこで、ここでは、1960年代の前半期にコンペと博覧会で試みられた設計方法について見ておきたい。

著录项

  • 来源
    《建築ジャーナル》 |2021年第1320期|42-47|共6页
  • 作者

    松隈 洋;

  • 作者单位

    京都工芸繊維大学;

  • 收录信息
  • 原文格式 PDF
  • 正文语种 日语
  • 中图分类
  • 关键词

  • 入库时间 2024-01-25 00:43:55
获取原文

客服邮箱:kefu@zhangqiaokeyan.com

京公网安备:11010802029741号 ICP备案号:京ICP备15016152号-6 六维联合信息科技 (北京) 有限公司©版权所有
  • 客服微信

  • 服务号