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欧米農学導入期における農芸化学

机译:欧米農学導入期における農芸化学

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摘要

我が国の農学校構想は1875年内務卿大久保利通の下で整えられ,予科,専門科,現業科を設置し,それぞれ専門予備,農学全科,農業技術の教育を目的として,農学校に農学,農業分折学,獣医学,予科,実地農業技術の外国人教師を各1名ずつ,計5名雇用することに決定した.翌年秋には英人教師5名(農学,獣医,農芸化学,農学予科,農学試業科)が来日し,農学教育がスタートする.駒場野移転後1878年1月に農学校(通称,駒場農学校)として開校し,東京農林学校を経て1890年に帝国大学農科大学となった.他方,1876年8月にクラークを教頭に迎え,米人教師でスタートした札幌農学校は,1907年に東北帝国大学農科大学となった.農科大学昇格に至る経緯は,『東京帝国大学五十年史』『東京大学百年史』『北大百年史』等に詳しい.農科大学の「実業的学問」が帝国大学の「学理的学問」に相応しいか否かの議論は新聞紙面にも掲載され,学者に加え広範な人々の関心事となった。同様の議論は諸外国でもあり,ドイツでは化学者リービッヒが,農学が単に経験の学でなくなるためには総合大学内で正当に教育されるべきであるとし,総合大学農学部の設置運動を展開した.米国でも農業に関する専門的な知識·技術の必要性が高まり,農科大学設置と大学改革が連邦レベルで推進された.英国では,大学への農学部設置の提言が検討された.いずれも,近代農学として重視された学科は農芸化学である.日本における農科大学を巡る「学理と応用」の議論では大学昇格を急いだためか,教育内容や教授法をどのように改革するのか,専門基礎教育から専門教育への系統性をどう担保するのかなど,議論が具体的な課題にまで深化発展したのかについては見えてこない.

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