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【24h】

上野俊一博士を偲んで

机译:上野俊一博士缅怀

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摘要

2019年の9月に森本桂博士が亡くなられ,未だ悲しみの思いが消えないというのに,2020年10月の奇しくも同博士と同じ日付の3日に上野俊一博土が亡くなられ断腸の思いに沈んだ.私が上野俊一博士が10月3日に逝去されたことを知ったのは,10月27日発行の「農大昆虫学研究室OB会ニュース」によってである.最近の私は農大昆研に新任の教授が就任したことで,それまで私が定年退職後利用していた研究場所を明け渡してからは昆虫学研究室とは疎遠になって,それと共に昆虫関係の会合にも欠席するようになった.このため,上野俊一博士(以後上野さんと呼ばせていただく)の逝去を知る機会が遅れて告別式にも出席することができなかったことは断腸の思いである.思えば,私が上野さんと初めて親しくご交誼いただくようになったのは,今からほぼ半世紀前の1961年に日本昆虫学会大会が九州支部担当で開催された時に遡る.この時の昆虫学会大会は通常担当される支部の大学キャンパス内で行われるのが通例だったが,この時の大会は例外的に博多の繁華街の「天神」の当時としては少なかった高層ビル内に設置された会場で行われた.大会終了後,農大勢に上野さんが合流して博多名物の「鳥の水炊き」を食べに行ったことが契機となって,以後昆虫分類学に関する色々な面でご指導いただくようになった.とりわけ,日本各地の高山帯で採集したゴミムシ類の種名同定をお願いした折には,採集個体の正確な高度や植生等の環境状況を知りたいと5万分の1の地形図が送られてきたことに大いに啓発され,以後私の論文作成に随分と資することになった.また,私が当時新大久保にあった国立科学博物館分館に1990年と1993年に,それぞれ1年間客員研究員として博物館収蔵のハネカクシ類の分類·整理に携わった折には,分類学に関する有益なご意見を伺うことが出来た.更に,その後私が日本昆虫学会や本学会前身の日本鞘翅学会の機関紙編集にかかわった折には,学生やアマチュアの人達による投稿原稿については適宜アドバイスされた方が良いが,既に専門家として活動している人達による投稿原稿については,出来るだけ原文を尊重する謙虚な姿勢で臨む事を学ばせていただいた.また,採集·調査の面では1989年から1996年の8年間に亘って,中国科学院上海昆虫研究所の研究員と日本の研究者とによって「中国亜熱帯林及び熱帯林における土壌動物相調査」が実施されたが,この調査で私は上野さんと2回に亘って共に行動する機会を得たことは忘れられない思い出となっている.とりわけ,雲南省大理市西方に連なる点苍山系中の雪山峰での調査行は私にとって貴重な体験であった.この時の調査では午後になって猛烈な豪雨に見舞われて登山道は水浸しとなり,所によっては小川のような状態になった.このため,同行した中国の研究者が我々を気遣って登山口まで帰途用のジープを呼び寄せた所,目的のチビゴミムシが得られていない上野さんはジープを待たせ,ずぶ濡れになりながら鬼をも拉ぐような気迫に満ちた姿で手鍬を振るっていた姿は未だに私の脳裏に刻み込まれている.

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