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今井兼次と旧山口萬吉邸について今井兼次の戦前の設計活動に関する研究(その21)

机译:关于今井贤治和山口万吉的住所今井贤治的战前设计活动研究(第21部分)

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摘要

本稿は、建築家 今井兼次(1895-1987)の今まで知られrnることのなかった戦前の設計活動に光を当てることを目rn的とする継続研究であり、東京九段に現存する旧山口萬rn吉邸(1927)(以下、山口邸)を取上げる。過去数年に雑rn誌などで「スパニッシュデザイン」として、また内藤多rn仲邸(1926)同様の耐震建築の初期例として紹介されてrnいるが1)、今井の関与は明確ではなかった。いずれも内藤rnの同級生で親友の木子七郎(1884-1955)が設計者として前rn面にでている。今井の設計活動初期には、「私の先生」rnとも呼んだ内藤多仲(1886-1970)からの要請によって、意rn匠面の協力をすることが多かった2)。内藤の遺稿資料が残rnっていないこと、また今井も内藤先生の「お手伝い」にrn関しては、描いた図面を手元に置かなかったため、具体rn的な協力の程度についてはわからないことが多い。
机译:本文是一项持续的研究,旨在阐明建筑师今井贤治(1895-1987)的战前设计活动,该活动以前从未知道过,并且存在于东京九段。占用山口万物之家(1927年)(以下简称“山口之家”)。在过去的几年中,它作为“西班牙设计”在各种杂志中被介绍,并且作为类似于Naito Ta-rnaka的房屋(1926年)1)的抗震建筑的早期实例,但是今井的参与尚不清楚。两位都是内藤(Naito rn)的同学,最好的朋友Shichirou Kiko(1884-1955)则是设计师的前排。在今井设计活动的初期,他经常应田中内藤(1886-1970)的要求与设计部门合作,他也被称为“我的老师”。内藤的手稿材料没有留下,今井也没有为内藤先生的“帮助”绘制图纸,因此我不知道具体的合作程度。 ..

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