首页> 外文期刊>農村計画学会誌 >2度の震災とくりこま高原自然学校の歩み: 自然体験活動と防災教育
【24h】

2度の震災とくりこま高原自然学校の歩み: 自然体験活動と防災教育

机译:栗驹高原自然学校的两次地震与历史:自然体验活动与防灾教育

获取原文
获取原文并翻译 | 示例
       

摘要

一般社団法人くりこま高原自然学校(以下,くりこま 高原自然学校)の歴史は,栗駒山中腹(栗原市栗駒沼倉耕英地区)のブナの森に囲まれた標高600 mの高原地帯 に1995年に筆者が自然学校のための施設の建設を自力 で始めたところから始まった。この耕英地区は戦後満州 からの引揚者が昭和22年に入植を始めた開拓農家の集 落である。1945 (昭和20)年後半から1960 (昭和30年) 代までの全盛期は120軒もの開拓農家を数えたが,現在 は30軒余りの農家が点在し,以前の面影は,地域に点 在している朽ち果てた廃屋や荒れ果てた畑から想像でき るのみである。くりこま高原自然学校はこのような地域 に農業だけではない自然を教室とした教育事業を展開し てきた。子どもたちのための様々な自然体験活動や冒険 的活動はもちろん,農山村で持続可能な暮らしを実践す るために農的な暮らしの体験も取り入れてきた。また. 山村留学の子どもゃ不登校の子ども,ニートと呼ばれる 若者を受け入れた自立を支援する寄宿制度も併設してき た。寝食を共にしながらスタッフと寄宿生が暮らしの中 で,畑は有機野菜,コメも有機農法,家畜も飼い,廃材 で施設を建て,薪などで熱エネルギーの自給をし,当事 者たちの無意識のうちにグローバルな経済に翻弄されなレゝ,持続可能な暮らしを実践する力が育くまれてきた。開校以来の歴史を振り返ってみると,地域にとっての この自然学校の教育活動の意義は,人間関係を持続でき る人づくりであり,自然学校の受講者のみならず地域の 自立の支援が重要な活動として位置付けられてきたこと にあるといえる。2008年6月「岩手、宮城内陸地震丄2011年3月「東 日本大震災丄この地は,2年あまりで2度の大きな震 災を体験した。震災という大きな社会の変化の中で,被 災者のみならず被災地を支えるすべての日本国民の、、生 きる力、、お'が必要であり,今試されている。災害を未 然に防ぐこと,被害を最小限にとどめること,そして被 災した状況の中でできること。これらを学び,身につけ る教育を"防災教育、、と呼ぶのであれば,防災教育が正 に、、生きる力、、を育む教育なのではないだろうカゝ。
机译:Kurikoma Kogen自然学校(以下简称Kurikoma Kogen自然学校)的历史写于1995年,在海拔600 m的高原地区,被丘利可山(Kurikoma Numakura Koei区,栗原市)山毛榉森林所环绕。从他开始自己为自然学校建造设施开始。这个光荣地区是先锋农民的聚居地,他们从战后从满洲撤出的人们于1947年开始定居。从1945年下半年(昭和20)到1960年代(昭和30)的鼎盛时期,有120位先锋农民,但现在有30多位农民,前者的残余物散布在该地区。只能从腐烂的废弃房屋和荒凉的田野中想象。栗驹高原自然学校一直在与自然相关的领域,如教室,而不只是农业领域,开展教育项目。除了针对儿童的各种自然体验活动和冒险活动之外,我们还吸收了农业生活经验,以便在农村地区实现可持续的生活。此外,我们还建立了一个寄宿制,通过接受在山村学习的儿童,未上学的儿童以及名为Neat的年轻人来支持独立。员工和寄宿生在睡觉和吃饭时一起生活时,田地是有机蔬菜,大米也是有机耕作,还饲养牲畜,用废木头建造设施,用木柴等自给自足的热能,有关各方都昏迷不醒。同时,已经培养了实践可持续生活的能力而不受全球经济的支配。回顾自学校开放以来的历史,这所自然学校的教育活动对社区的意义在于培养能够维持人际关系的人,不仅支持自然学校的学生,而且还应支持社区的独立性,这一点很重要。可以说它已被定位为一项活动。 2008年6月“宫城县内陆县岩手地震碗2011年3月”东日本大地震碗我在大约两年里经历了两次大地震,在地震带来的巨大社会变化中,我受到了影响。不仅灾难受害者,而且所有支持灾难地区的日本人都需要具备发展的能力,并且正在接受测试。预防灾难,将损失降到最低,以及在灾难情况下可以做什么:如果您将学习和获得这些东西的教育称为“防灾教育”,那么防灾教育就不是培养生活能力的教育。ゝ。

著录项

相似文献

  • 外文文献
  • 中文文献
  • 专利
获取原文

客服邮箱:kefu@zhangqiaokeyan.com

京公网安备:11010802029741号 ICP备案号:京ICP备15016152号-6 六维联合信息科技 (北京) 有限公司©版权所有
  • 客服微信

  • 服务号