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【24h】

日本のパブリックスペースとは何だろう?

机译:什么是日本公共空间?

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摘要

井口勝文さんがJUDI都市環境デ ザイン会議の援助でまとめた、ヨーロッ パと日本の歩行者空間に関する報告書 がある。彼がそこで危惧しているのは、日 本の公共空間利用の貧しさだが、そのよ うな現象に逆らって、なんとか都市の公 共空間を活かそうという主張が、この両 特集の主眼だろう。パブリックスペースと は、近代の市民国家では、共同体の一 員としての市民が主体的に使うべき空 間であって、その事業と管理の主体の 管理上の都合や便宜、まして金儲けの手段の場として使い方が決められるべ き空間ではない。しかし、ヨー口ッバに比 ベるとその使い方の落差があまりに大き いことを、井口さんは多数の仲間と共に 体験的、実証的に報告している。日本 の都市の公共空間をつぶさに見ている と、管理主体の意のままに人が動いてし まうロボット人間の都市ではないかと、彼 は危惧している。僕は、井口さんの同志 たちが成果を上げている、1970年代の 初頭に始まった先駆的な旭川市買物公 園、橫浜イセザキモールの例、小林正美 さんが市民と手を組んで進めた下北沢 や姫路の駅前広場の例、銀座の街の 人たちが中央区と組んで、街と街路をー 体として考え公共空間の質を維持し、空 を取り戻そうとしている例、大阪の川辺 の利用を推し進めている泉英明さんら多 数の人々の努力の例などを念頭に置き ながら、確かに矮小化し、狭い戦術的な 領域に押し込められ、ますます事態は悪 化しているけれど、公共空間を市民の手 に取り戻す力がまったく失われているわけ ではないと反論したものだ。しかし、こうし た心ある専門家の主張や努力にもかか わらず、つまり、この特集の主眼であるに もかかわらず、日本における都市公共空 間の利用実態はとても貧しい。路地から 始まって、庭、街路や広場、公園、大規模開発のいわゆる公開空地などが一体 となって人の生活スペースとして使われ ている、人の生活の匂いがする都市空 間の実現例が少な過ぎる。さらに、公共 空間は、それを取り巻く周囲の建物の密 度や高さ、テクスチャー、空の見え方、街 路における交通機関の移動速度などに よってまったく違って受け取られてしまう のが宿命だから、分野橫断的に空間デ ザインをすることが不可欠なのだが、現 状の行政システムは化石化していてそれ ができない。それに抗して、現代の世界 標準のデザインの観点から立ち向かっ ている多くの人たちの苦悩がある。残念 ながら、この特集からは、そういった深刻 な問題意識が伝わってこなかった。さら に、世界的な民活主義の普及の余波も あって、日本の都市で深刻化しつつある 空き家、空き地や耕作放棄地、管理放 棄された山林などの問題、既存の住宅 団地が建て替え、再開発によって豊か な公共空間の劣化を招いている実態な どについての危機感が伝わってこない。 オープンスぺースとしての大きな「公共 的」空間である農地や里山、さらにオリン ピックを控えた東京で大いに気になる、 河川や海の景観のあり方を問うこともな い。大資本と大規模公共投資しか関与 できない巨大建築によって生み出される残余地としての「パブリックスぺース」の 例に力点が置かれているが、例えば、緊 急の課題であるはずの環状2号線、新 虎通りの風景はどうなっていくのか。せっ かぐ大変な苦労によって幾つかの戦術 的な勝利に貢献している小林正美さん や泉英明さんが登場しているのに、現 在のシステムの致命的な欠陥になってい る地方主権の考え方の不在、それに基 づく現場からのデザイン的な思考の推 進による戦略的な考え方への転換が正 面から議論されていないのはなぜだろう。 都市公園という場に議論の出発点を求 めていること自体が、西欧的な標準から 見て貧しいオープンスぺースしかつくれ ていない日本の現状を表現しているので はないか。
机译:在JUDI城市环境设计会议的支持下,井口胜富编着了一份欧洲和日本的行人空间报告。他担心的是日本对公共空间的利用不充分,但是为了应对这种现象,主张以某种方式可以充分利用城市的公共空间应该是这两个特殊功能的主要重点。公共空间是公民作为社区成员应在现代公民国家中独立使用的空间,它是一个方便经营企业和管理机构以及赚钱手段的地方。这不是可以确定使用情况的空间。但是,井口先生与许多同事进行了经验和经验报告,与Yoroku-bbba相比,用法差异太大。当他仔细观察日本城市的公共空间时,他担心它们可能是人类按照机器人意愿移动的人类机器人城市。我以旭川市购物公园为例,该公园始于1970年代初,位于Isahaki Isahama购物中心,井口先生的同事们在该购物中心取得了成功。姬路车站前的一个例子,银座镇上的人们与中央区一起工作,以将城镇和街道视为维持公共空间质量和重塑天空的主体,在大阪使用川边在牢记许多人努力前进的例子(例如,Hideaki Izumi)在推动局势发展的同时,它肯定相形见and,并被推向狭窄的战术区域,局势正在恶化,但公共场所他辩称,完全没有丧失回到公民手中的权力。然而,尽管有这种由衷的专家的主张和努力,也就是说,尽管本期特别要点,但日本城市公共空间的实际使用还是很差的。从小巷,花园,街道和广场,公园开始,所谓的大规模发展开放空间被用作人们的居住空间。太少了。此外,根据周围建筑物的密度和高度,质地,天空的可见性以及街道上的运输速度,公共空间的接收方式完全不同。坦率地进行空间设计是必不可少的,但是当前的管理体系僵化了,无法实现。相反,许多人受现代世界标准设计的影响。不幸的是,此功能并未传达出对问题的如此认真的认识。此外,由于全球私有化蔓延的后果,在日本现有城市中空置房屋,空地和废弃耕地,废弃耕地森林等问题,正在重建和重建现有的房地产。对于发展导致富裕公共空间恶化的实际情况的危机感没有得到传达。无需询问理想的河流和海洋景观,在农田和里山(作为开放空间的大型“公共”空间)以及在奥运会之前的东京,这是备受关注的。重点放在“公共空间”的示例上,它是由一栋仅能涉及大量资本和大规模公共投资的巨大建筑物创建的剩余空间,例如,第2条环线应该是一个紧迫的问题, Shintora-dori的风景将会怎样?尽管由于辛勤工作而在战术上取得了一些成就的小林正美和泉秀英的出现导致了地方主权的概念,这是当前系统的致命缺陷。我想知道为什么没有关于人的缺席以及通过基于实地的设计思维的发展而转向战略思维方式的直接辩论。也许在一个称为城市公园的地方进行讨论的起点本身就是以西方标准来表达日本贫瘠的开放空间的事实。

著录项

  • 来源
    《建築雑誌》 |2018年第1712期|48-48|共1页
  • 作者

    蓑原敬;

  • 作者单位

    蓑原計画事務所;

  • 收录信息
  • 原文格式 PDF
  • 正文语种 jpn
  • 中图分类
  • 关键词

  • 入库时间 2022-08-17 23:47:15

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