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今井兼次の遠山邸設計案について今井兼次の戦後の設計活動に関する研究(その2)

机译:今井贤治的富山住宅设计计划研究-今井贤治的战后设计活动(第二部分)

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摘要

建築家 今井兼次(1895-1987)の今まで知られることのなかった戦前の設計活動に光を当てるなかで、住宅作品を重点的に考察してきた。一方戦後、唯一実現した住宅である柿内邸についても以前報告したが1)、本稿は戦後のもう一つの住宅計画案である遠山元一邸を取り上げる。遠山元一(1890-1972)は埼玉県出身の実業家であり、日興証券の創業者である。美術品収集家としても知られ、そのコレクションは川越市比企郡川島町の遠山家住宅(1936)に隣接する、今井の晩年の仕事である遠山記念館(1970)に収められている。しかしその10年程前に遠山邸を計画していたことはほとhど知られていない。
机译:建筑师今井宪次(1895-1987)迄今所知 根据战前的设计活动进行的住宅工程尚不存在 一直专注。另一方面,战后唯一的房子 我还报道了Kakiuchi住所,该住所为1),但本文来自战后时期。 让我们考虑另一个住房计划,富山健一的住所。 富山健一(1890-1972)是来自Sa玉县的商人。 他是Ko Securities的创始人。也被称为艺术品收藏家, 收藏品是位于川越市喜木区川岛町的富山故居。 今井晚年的富山纪念馆,与(1936年)相邻 它包含在(1970)中。然而,大约十年前,富山的住所 几乎不知道他正在计划。

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